サッカー日本代表みたいな一枚

curtis amy & dupree bolton katanga

"黒いパシフィック盤"の一枚。デュプリー・ボルトンというトランペッターの演奏を記録した貴重な作品でもある。
リーダーのカーティス・エイミーの魅力はさておき、曲はキャッチーだし、デュプリー・ボルトンのトランペットは切れ味鋭い。ジャック・ウィルソンの洗練されたピアノも魅力的だ。
ところが、どうにも統一感がない。新しいジャズを創造しようという姿勢は感じるものの、未消化に終わっていてどこか安っぽい。

個々のメンバーはテクニック十分だし、魅力的ではある。レギュラーグループとして活動を続けていれば、完成度が上がっていたのかもしれないが、ミスマッチ感が漂う。これはメンバー構成の失敗ではないだろうか。
アジアカップで中東勢に連敗して敗退したサッカー日本代表を連想する。大いなる失敗作と言ってしまおう。

小澤征爾と満洲国


物心ついたころには、すでに「世界的指揮者」だった小澤征爾。オーケストラはあまり聴かない自分には、オザワの偉大さはわからない。それでも、板垣征四郎石原莞爾から名前をとられていることは知っていた。
この機会に調べたところ、父親の小澤開作が「五族共和」と「日中友好」の実現に奔走した、いわゆる大陸浪人だったことを知った。山梨の貧村に生まれた開作が大陸に渡り、満洲で青年組織のリーダーとして活動していたころに生まれたのが小澤征爾板垣征四郎石原莞爾とは単に名前をとっただけではなく、深いつながりの同志だったという。
この小澤開作という人物の人生を辿ると、日本人が何を考え、どこで間違えたのか、よく理解できる気がする。本が出ているようだ。さっそく入手してみよう。

10年ちょっと前、小田急成城学園前の駅のホームで小澤征爾とすれ違ったことがある。サッカーのグラウンドに立つような長いスポーツコートを纏って手ぶらで向こうから歩いてきた。すれ違うときにこちらを斬るように見た、その眼光の鋭さは常人ではなかった。あれはきっと父親譲りなのだろう。合掌。

セシル・ペイン爺さんの才能

同じようなメンバーでたくさんアルバムをリリースしている「エリック・アレキサンダーとその仲間たち」。クオリティは安定しているけれどマンネリ気味なのは否めない。
"異物混入"効果を期待してセシル・ペインとのライブ盤を入手してみた。

Cecil Payne
Chic Boom Live at the Jazz Showcase

3管の迫力がいい感じで、演奏がイキイキしている。録音時78歳のセシル・ペインのバリトンはヨレヨレだけど、グループに闘魂注入している。ライブの臨場感が伝わってくる快作だ。
ジャズジャイアンツでもなければ、プレーヤーとして高い評価を得ているわけでもない。でもグループをまとめる力があるのかもしれない。良い曲が多く、作曲能力も高いことがわかる。
いまさらながらセシル・ペインの才能に気づかされた。ジャズの森は深い。

書店がどんどん消える


長年利用してきたつつじケ丘の本屋さん「書原」がついに閉店してしまった。小さいながら控えめに個性を発揮していて、会社の帰りに立ち寄るのが楽しみだった。ほんとうに淋しい。
このままでは東京も駅ナカの個性のないチェーン書店ばかりになってしまうのではないだろうか。

活字離れが言われて久しいけれど、ブックオフは盛況だ。街から本屋さんが消える原因は、可処分所得の減少に加えてAmazonなどネットショップの影響が大きい。自分自身、本やCDはAmazonマーケットプレイスを利用してしまう。Amazonの便利さには抗えない。

取るべき政策はGAFAへの課税強化だろう。消費税やインボイスで国民を苦しめるのではなく、グローバル企業からの徴税強化を実施しないと資産は収奪され、文化はどんどん痩せ細ってしまう。それは画一化された社会につながっていく。
すでに、百貨店は次々と潰れ、ショッピングセンターには100円ショップとファストフード、ファストファッション店ばかりが出店している。日本社会はすでに画一化されたファストフード化している。

国際社会では、米国が主導するグローバル化に異議を唱える国々が連帯しはじめている。日本でも、対米従属政策をやめるべきと考える人が着実に増えている。歴史の転換点に立っていることを認識して未来を描く、そういう政治家がいないわけではない。しっかり見極める材料を提供するメディアがほしい。

そっけなさはお国柄?

2日連続で映画館へ行った。
1日目はデンマークの監督、カール・テオドア・ドライヤーの『奇跡』。
映画マニアの知人に勧められて観たのだけれど宗教嫌いの自分には合わなかった。

2日目はフィンランドの監督、アキ・カウリスマキの『枯葉』。
この監督の作品を観るのは初めて。ブレッソンゴダールへのさりげないリスペクトが差し込まれているのを楽しむほどマニアックではないとして、人間関係の描き方、音楽の使い方などが一風変わっている。
ウィキを見るとジム・ジャームッシュと親交があるらしい。なるほど、そっけなくて脱力感のあるところは共通している。
恋に落ちる2人の表情が乏しく、恋しているように見えない。北国のお国柄だろうか。
そんなそっけなさがジワる。とくに男がトラムにはねられて意識不明で入院しているところのシーンがなんともいえない味があった。
貧しくても運が悪くても、愛さえあれば人生は豊かだ。大切な人を大切にしようと思いつつエンドロールを見送った。

文系エリートの堕落を止める方法はあるか

安倍派幹部は起訴見送りになり、自民党は派閥解散で混乱。能登の震災そっちのけで権力闘争中。
政治家がどうしようもないのは、有権者の責任。問題は官僚やメディア、弁護士や裁判官など司法に携わる者たちが保身と出世ばかり考えていることだ。


片山さつきと同類の醜さ。これが検察幹部とは気色悪い。

支配者層の人間性が劣っているのは明らかだ。大都市の富裕層に生まれた人ほど高学歴。そういう人ほど問題がある。
とくに文系がいけない。科学や技術を通じて自らを客観的に観ることになる理系と違い、文系は根拠もないま意識高い系になりがち。

企業では、観念的な戦略、忖度、ゴマスリが三種の神器だ。マスメディアや広告代理店といった文系企業を見れば、いかに不誠実で無教養の人間がトップにいるかがわかる。

日本社会がダイナミクスを取り戻すためには、文系は邪魔どころか害悪でしかないような気がしてならない。人工知能AIが解決してくれることに期待するしかないのだろうか。

健康的なチェットの凄み

chet baker diane

このSteepleChase盤を入手したのは最近のこと。録音は1985年、ホテルの窓から墜落死する3年前だ。この年の録音には良盤が多く、心身ともにチェットは良い状態だったことがうかがえる。

入手が遅れた理由はいろいろ。
まずSteepleChaseというレーベルに良い印象がなかった。ジャケットが食指をそそらないうえに、録音もよくないイメージを持っていた。
おまけにこの作品はデュオで、相手がポール・ブレイ。腐臭漂う演奏も少なくないチェットのこと、ポール・ブレイ相手にヨレヨレの演奏をしているに違いないと思い込んでいた。

これがとんでもない間違いだった。
ここでのチェットは神がかっているといっても言い過ぎではないように思う。
この人がシラフでかつ真剣に演奏すると、こんなに素晴らしいのかと改めて感服した。
神様は美しい音楽を演奏する能力と引き換えに人格を破綻させてしまったのではないかと思ってしまう。

録音も素晴らしい。チェットの他のSteepleChase盤とはトランペットの音がまったく違う。
ジャケットとアルバムの構成が今ひとつではあるけれど、これは名盤。