小澤征爾と満洲国


物心ついたころには、すでに「世界的指揮者」だった小澤征爾。オーケストラはあまり聴かない自分には、オザワの偉大さはわからない。それでも、板垣征四郎石原莞爾から名前をとられていることは知っていた。
この機会に調べたところ、父親の小澤開作が「五族共和」と「日中友好」の実現に奔走した、いわゆる大陸浪人だったことを知った。山梨の貧村に生まれた開作が大陸に渡り、満洲で青年組織のリーダーとして活動していたころに生まれたのが小澤征爾板垣征四郎石原莞爾とは単に名前をとっただけではなく、深いつながりの同志だったという。
この小澤開作という人物の人生を辿ると、日本人が何を考え、どこで間違えたのか、よく理解できる気がする。本が出ているようだ。さっそく入手してみよう。

10年ちょっと前、小田急成城学園前の駅のホームで小澤征爾とすれ違ったことがある。サッカーのグラウンドに立つような長いスポーツコートを纏って手ぶらで向こうから歩いてきた。すれ違うときにこちらを斬るように見た、その眼光の鋭さは常人ではなかった。あれはきっと父親譲りなのだろう。合掌。