福西本店と会津の風土

9月は3連休が2週続く。どちらかで縦走したいところだけれど、体力づくりが全く出来ていない。まずは遅ればせながら足ならしを、ということで、西吾妻山をお散歩することにした。

リフトを3つ乗り継ぐと標高1,820mの登山口。山頂が2,035mだから200m登るだけ。楽ちん、楽ちん。とはいえ、それなりに疲れて、下山後は白布温泉で爆睡した。

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翌日は喜多方へ。この町はバブルの頃、観光客で賑わっていた。当時、ラーメン屋に入ったら2階に案内され、階段を登ると、大広間にどよんとした空気が漂っていたことを記憶している。20〜30人ほどの客が誰も食べていないのだ。結局、40分ほど待たされて食べたものの、それ以来、すっかり喜多方が嫌いになってしまった。その後、15年以上が経ち、旅行途中などに何度か立ち寄ることはあったが、この町は店が早く閉じるため、観光らしいことをする機会がなかった。そんなこんなで、カミさんが喜多方ラーメンが好きなこともあって、ご機嫌とりをかねて訪れてみることにした。

3連休というのに、街は閑散としている。中心部を流れる川は雑草が生い茂り、クルマを運転しながらだと、水が流れているのかどうかもわからない。

川が美しくない街はよろしくない。観光地の割りに駐車場が整備されていない。どうも街づくりが中途半端で失敗しているように感じた。相性が悪いのかもしれない。ラーメンを食べてそそくさと退散した。

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帰途、会津若松で立派な蔵構えが目に入った。

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土産物を売っているお店で、福西本店というらしい。建物内部を有料で公開しているので、のぞいてみることにした。

かつて豪商だったという建物は見応え十分。戊辰戦争後、再建したものだというが、歴史の重みが伝わってくる。蔵は焼けなかったのだろう。

床は美しく磨かれ、蔵や広間の一部を展示施設として開放している。渋沢栄一木戸孝允の書が飾ってあった。このあたりに先祖様の価値観が滲み出ている気がした。

豪商というと北前船で財を築いたものが多い。会津若松という地にあるこの家は、どのようにして財を成し、戊辰戦争をどのように乗り越えてきたのか、興味が湧いた。

福西本店を見学させていただき、会津というところは、武士だろうと商人だろうと農民だろうと、同じものを抱いて暮らしていたような気がした。

隔絶された会津盆地の風景は、いつみてもまるで桃源郷のようだ。薩長はこの「美しい国」を徹底的に破壊したのだ。そう簡単に禍根は消えないだろう。