本田竹曠の1974年

Honda Takehiro Trio Live 1974

地を這うようなブルース、ソウルフルでどこか日本的な叙情。パワフルながら美しいタッチ。まさに不世出のジャズピアニストといってよい本田竹曠
没後発売された1974年の鹿児島でのライブは熱気溢れる圧倒的な演奏だった。それから数日後の同メンバーによる大分でのライブ音源が2年ほど前に発表された。悪いはずがない。遅まきながら入手した。

期待通りの素晴らしい演奏で、鹿児島でのライブ盤よりも音が良いのが嬉しい。ソロピアノから始まってトリオで盛り上がるバラードメドレーはフェードアウトして終わるし、なぜか曲名がクレジットされていないラストのマイファニーバレンタインも中途半端で終わっていたりと、残念なところはあるがファンにとっては十分楽しめる作品となっている。

このとき本田はまだ20代。とはいえ、すでにチコ本田と結婚して1969年に珠也が生まれている。米国のどんなピアニストよりもまっ黒いピアノは個性的だし、スケールの大きなアドリブは貫禄を感じさせる。日本のジャズが質的にもピークに達した1970年代、本田竹曠はその屋台骨を背負う存在となっていた。

1974年、昭和49年、日本はオイルショックで戦後初のマイナス成長を記録した。当時、陸前高田市に住んでいたが、母が「経済、経済」と言いながらこまめに家の中の電気を消していたことを思い出す。節約を「経済」と言っていたのは可笑しいが、経済的=節約だったのだろう。

この後、三菱重工爆破事件が起き、三田誠広『僕って何』が芥川賞を受賞した1977年頃から時代は急速に軟弱化していく。
本田竹曠の男臭くて骨太なピアノには昭和の香りがある。小説は時代に埋もれたが、本田竹曠の演奏はけっして古びない。