棄民と偽善、2020年、東京五輪

都会育ちの人は、ひとゴト、よそゴトで片づけることができる環境で育っている。そのうえ都市は消費する場所だから、お金がたいていのことを解決してくれることも、小さい頃から知ることになる。

これらは美徳にはほど遠い。ならば教育で美徳を身につけさせなければなるまい。すると、頭でっかちの偽善者か、本音と建前を使い分ける要領のよいサラリーマンの群れが出来上がる。

 

一方、田舎で育った人間は、なにもいまどき都会に出て働かなくても、暮らしていけるし、家賃だってかからない。遊びに行こうと思えば、クルマを飛ばせば楽しいことも出来るし、欲しいものも手に入る。地元の仲間とは気心も知れていて楽だし心地よい。こうしてヤンキーの群れが出来上がる。

 

首都圏は、この両方があまり融け合わない状態で混在する。

 

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今回の台風被害では、千葉のなかでも田舎のエリアが見棄てられている。

見棄てられるのは常に田舎だ。政府から理不尽な扱いを受け、千葉県民にも棄民という言葉が実感を伴って響くようになっただろうか、沖縄や東北のように。

それでも、まもなく日本は五輪狂想曲で覆われる。何事もなかったかのように。