野仏、高遠石工、ブリコラージュ

東京と伊那谷を往復する道すがら、山梨・白州の喫茶店に立ち寄った。店内に並ぶ店主の蔵書らしき本の中から石仏に関する本を見つけて珈琲が来るのを待った。

石仏には、磨崖仏やお寺の境内に立つ仏像のほか、庚申塔道祖神といった野仏もある。
また野仏にも、庚申塔道祖神、二十三夜塔、馬頭観世音などさまざまな種類がある。これら民間信仰は近代化のうねりとともに放逐され、すっかり縁遠くなってしまった。いまや理解が及ばない世界だけれど、厄除けや願いを込めたり供養したりといったものであり、庶民の暮らしに根差した祈りには慎ましさを感じる。庚申信仰と二十三夜塔などの月待信仰は地域行事のようなもので、寄り集まりの機会になっていたようだ。

興味が膨らんで石仏の世界にハマっていく。高遠が石工の里であり高遠石工は全国各地で活躍していたことも初めて知った。なかでも守屋貞治という名工がいて、その代表作が高遠の建福寺にあるという。さっそく訪ねてみた。

建福寺は観光案内所のすぐ裏の高台にあった。石の階段を登って行くと門の前に守屋貞治作の西国三十三所観世音菩薩が並んでいる。近畿と岐阜の三十三霊場の菩薩像を一カ所で参拝できるようにしたもので、同じ大きさの石仏がズラリと並ぶさまは壮観だ。

屋根に覆われて安置されているため、風化することなく、とても良い状態で保たれている。精密な彫像は、まるで昨日3Dプリンターで出来上がったかのよう。あまりにクールでモダン、完璧な出来映えに驚かされる。吊り目でどことなくビリケンに似た表情が特徴的で、各地に安置されている実際の本尊と比較してみたくなった。

民間信仰はややこしい教義などなく、宗教とは異なる。慎ましく穏やかでとてもいい。神仏習合など、さまざまなかたちで変化したことも、節操の無さではなく、ブリコラージュとしてとらえ、再評価すべきだろう。

伊那谷にはあちこちに石仏や庚申塔など野仏が残っている。これらの野仏を巡って歩くのも楽しそうだ。きっかけをくれた喫茶店に感謝したい。