畏怖の喪失

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WHOがパンデミック宣言を出した。これで今年の東京五輪開催はほぼなくなった。

東京五輪は、はじめから祟られ続けてきたように思う。エンブレムデザインの盗作疑惑、国立競技場の設計やり直し、招致をめぐる賄賂疑惑‥‥不祥事が続々発覚した。

復興五輪だのアンダーコントロールだのと言って、日本のみならず世界を騙したツケが回ってきたというべきか。石原慎太郎は大震災を「天罰」とのたまい、五輪誘致に熱を上げた。ブーメランとはこのことだ。昔ならば、震災で亡くなった2万人の霊の「祟りだ」といわれていただろう。

長く共同体に伝えられてきた言い伝えが、明治以降、科学的合理性の名のもとで迷信として切り捨てられた。目に見えない力を畏怖して生きていくことの大切さを、近代はあまりにもないがしろにしてきたと思う。傲岸不遜な人間に国家を語らせてはならない。

かつては、なにかにつけて「お天道様に恥ずかしくないようにしなさい」と言われたものだが、いまや損得勘定でしか動かない人ばかり。コスパという安っぽい価値が大手を振っている。畏怖することがなくなれば、幼稚な首相のように、なんの自省もなく全知全能感をもつ勘違い男が量産されるのも無理はない。

さて、東京五輪が中止となれば、戦前と合わせて2度目となる。五輪中止自体異例のことだが、2度目というのはとても偶然とは思えない。過去の例からいえば、あと5年で日本は破局を迎える計算だ。

これ以上悪いことは起きないと思いたいが、アレが居座っている限り危機は続く。