かしも明治座と熊谷守一つけち記念館

かみさんの誕生祝いで下呂温泉に行った帰りに、「かしも明治座」と「熊谷守一つけち記念館」を訪ねた。どちらもクルマで走っていて案内板が目に入り立ち寄ったのだが、それぞれ見どころがあった。

 

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かしも明治座は、いわゆる田舎の芝居小屋だ。以前、兵庫の出石でみた芝居小屋と、つくりはそう変わらない。ただ、これだけの田舎にあるのは珍しいのだろう。有名人や一流役者も訪れているようで、楽屋裏には坂本龍一隈研吾のサインもあった。勘三郎七之助も来たりしているらしい。でも、案内してくれた人は、そんな一流どころよりも、地元の人たちが演る芝居がいちばん面白いという。駐在さんは悪者役をやらされ、素人役者は台詞を忘れ囃し立てられる。飲食禁止もなんのその。村の人たちは一升瓶と弁当持参で観劇するという。想像するだけで楽しそうではないか。農村歌舞伎の原点に触れて、ほっこりした。

 

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かしも明治座をあとに、熊谷守一つけち記念館へ。付知川を見下ろす場所に立つこの美術館は、できてからまだそれほど経っていないのだろう、明るく開放感があって、小さいけれど気持ちのいい空間となっている。

田舎に生まれた守一だが、子供の頃の写真を見ると、かなり裕福な家だったことがわかる。とはいえ画家を志すことで金銭面では苦労せざるを得ず、支援してくれる人が現れて、なんとか画家の道を歩むことができたようだ。かつての日本では、志を持つ人間を金銭面で支える人が必ずいたように思える。それに比べ、いまや日本の金持ちは強欲な守銭奴ばかり‥‥。所詮、将来が約束されたわけでもない小金持ちに過ぎないからだろう。

 

貧しくても、楽天的でたくましい庶民たちが大切にしてきた娯楽の場「かしも明治座」、近代化に抗うような生涯が印象深い「熊谷守一つけち記念館」。日本の来し方と行く末を考える週末になった。

それにしても、「かしも」は加子母、「つけち」は付知なのだが、いちいちひらがなにする必要はどこにあるのだろう。