平和祈念とマツコデラックス

8月6日は広島に原爆が落とされた日。そんな日に広島にいることは、もう一生ないだろうなと思いつつ、新幹線を降りた。

広島の街はなんら普段と変わらない。ちょっと残念な気分だけど、そんなものだろう。この川に火傷したたくさんの人が入ったんだろうと想像しながら歩く。夜のニュースでは追悼一色だ。

 

記憶を語りつぐことは難しい。他人の個人的体験に自分を重ね合わせて感情移入できる人がどれだけいるのだろう。自分を省みても心許ない。想像力がないのか人間として何か欠落しているのか。両方かもしれない。

 

事実を真っ直ぐ見つめないと、恣意的に歴史をつくってしまう。集合的記憶は善かれ悪しかれナショナリズムになる。距離を置いて見ることが必要だし、当事者感覚をもたないと学びにはつながらない。

何事も両面を備えることが必要だ。

例えばマツコデラックスのように。

f:id:milesmode:20190807064656j:image