ケニー・ドーハムな春

まだ3月中旬だが、東京では桜の開花宣言が出された。コロナ禍も終息を迎え、街は喧騒を取り戻している。久しぶりに人の群れを浴びると一目散に逃げだしたくなる。4月になるともっと凄いことになりそうで今から気が重い。
桜が咲いても気分はちょっとブルー。ケニー・ドーハムのくすんだトランペットがぴったりくるような春だ。

kenny dorham blue spring

「春」のつく曲を集めたのは、ドーハムにふさわしい企画とは思えない気もするけれど、6曲中4曲がオリジナル。このために書き下ろしたとすると、気合いを入れて録音に臨んだことになる。とはいえドーハムは何も変わらない。いつも通り端正にフレーズを紡いでいる。春の気分をまき散らすのはキャノンボールの役割だ。
大編成はさほど効果的ではないし、シダー・ウォルトンはこのメンバーでは物足りなさを感じる。いわばB級盤だが、1959年というハードバップの空気が充満していて飽きのこない魅力がある作品だ。

春になるとふとこのアルバムを取り出すのは、毎年ブルーな気分で春を迎えているということだろうか。
東京の喧騒が活気やエネルギーではなく、未成熟にしか感じられなくなっている。やはり早く脱出したほうが良さそうだ。