ユニクロの柳井正が寺島実郎と対談したテレビ番組で、学生時代に世界一周旅行に行ったときの話をしていた。大学2年で学生運動が激しくなり早稲田がロックアウトしたときというから、柳井が1971年卒ということから逆算すると、1968年ごろのことと思われる。
船でサンフランシスコに着いたときに、街に緊張感が漂っているのを感じたという。ベトナム戦争で人心が荒廃して社会から安全性が失われていたのではないかと語っていた。
一人の日本人の若者が初めて訪れた異国で不穏さを感じるのは当然であり、少し割り引いて聞く必要はあるけれど、アメリカ社会が変革期にあったことは間違いない。
社会を変えようという動きは摩擦や軋轢を生み、そこから新たな文化や産業が芽吹く。ベトナム戦争からヒッピームーブメントが生まれ、それはやがてアップルの創業にもつながった。
日本で新しい産業が生まれないのは、カウンターカルチャーがムーブメントにならないどころか、カウンターカルチャー自体が生まれないことと根は同じところにある。
ファッションから新しさや装飾性を剥ぎ取り、機能性に特化するユニクロの合理主義は、無印良品とともにクールジャパンを代表している。この二つは、バブルという過剰な時代へのアンチテーゼとして生まれたように思う。
柳井の話を聞いているうちに、ダイエーの中内㓛を思い出した。不思議と顔まで似ているような気がしてくる。アメリカへの憧れと合理主義、常に何かと闘う姿勢は、経営者としての普遍的な姿なのかもしれない。
中内は失意のなかで人生を終えた。柳井はどうだろうか。