アスリートの限界か

Fabrizio Bosso State of the Art: Live!
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ファブリツィオ・ボッソのワンホーンカルテット、しかもライブということで、思う存分炸裂するプレイを期待して聴いてみた。

予想どおりの凄まじいテクニック。でも音に必然性がない。意味のない音が洪水のように押し寄せ、フレーズにストーリーがない。しばらく聴いていると、もういい加減にしてくれと言いたくなる。

ファブリツィオ・ボッソはロイ・ハーグローヴ亡き後、最も期待しているトランペッターの一人だけに、こんな演奏を続けているのは残念でならない。曲芸的演奏を聴かされても心に響かないし、演奏者の自己満足でしかない。まるでトランペットのアスリートのようだ。

アスリートたちの晴れ舞台、五輪開催に向かって突っ走っている日本。聖火リレーはFUKUSHIMAからスタートした。

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五輪の放映権をもつ米NBCは、聖火リレーを強行した日本を批判するオピニオン原稿を電子版に掲載した。その内容は手厳しい。


「(聖火リレーの出発地に福島を選んだことは)この儀式の偽善や害悪、ばかばかしさを際立たせただけでなく、五輪に向けて突き進む日本の問題の縮図でもある」
「もとは『復興五輪』をうたっていたが、現地の多くの人は復興の遅れを理由に五輪を非難している。(復興の)財源は五輪の準備のため東京に振り向けられた」


「復興五輪」の欺瞞性がこれだけ明確に海外から指摘されたことはなかった。書いたのは元プロサッカー選手で現在は大学教授だという。日本のアスリートたちは、これをどう受け止めるのだろう。
山下泰裕にしろ内村航平にしろ、五輪のヒーローたちにはがっかりさせられっぱなし。アスリートは視野を広げて物事を客観的に観る訓練をしないといけない。山下泰裕内村航平の二人は、脳味噌まで筋肉になってしまった例として記憶されるべきだろう。