長崎平和祈念像への違和感

長崎平和公園の巨大な像については、子供のころから違和感を感じていた。力士のような肉体が平和祈念のモチーフとしてふさわしいとは思えないし、奇妙な顔とポーズも意味不明で気持ち悪い。芸術作品とは言えない醜悪さだ。いったいどうして、誰がこんなものを作ってしまったのか、不思議で仕方なかった。
ある彫像の作者を調べていたところ、北村西望という長崎出身の高名な彫刻家を知った。そして、北村の代表作として挙げられていたのが長崎の平和祈念像だった。

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経歴からは人物像がよくわからない。ただ、戦前戦中を通じて戦意高揚のため児玉源太郎ら軍人の像を数多く制作したらしいし、大政翼賛会にも積極的に参加していたという。戦後は基金を設立したり、公共的活動も幅広くやっていたようだ。長崎市が慰霊塔の建設構想を持っていることを知り、北村が自ら売り込んだとのこと。
こうしてみると、よく言えば「国士』、悪く言えば名誉と権力に取り憑かれた俗悪な人物像が浮かび上がる。

被曝した浦上天主堂の取り壊しの経緯とあわせて、長崎の原爆慰霊には、どこか政治的な影がチラつく。そもそもマッチョ志向は平和主義とは相容れない。まずはあの醜悪な像を取り壊し、誰もが素直に慰霊できるモニュメントに変えられないものだろうか。