倶会一処

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8月6日が近づきテレビで広島の墓地の映像が流れていた。その光景を見ていて、多くの墓石に同じ文字が刻まれていることに気がついた。「倶会一処」という言葉で「くえいっしよ」と読むらしい。
Wikipediaでは、次のような解説がある。
浄土真宗では、念仏の信仰に生きる人は、この世の命が終わるとただちに浄土に生れるとし、そこで墓碑に「倶会一処」と刻むことがある。それは、先に浄土に往生している先祖たちと、共に同じ浄土に生まれたいと思う心持ちを表したものであるし、また同じ浄土へ往生させていただくことを喜ぶ姿でもある。」

あの世でも再会したいという願いが込められた言葉のようで、なるほど墓石に刻むには相応しい。「○○家の墓」と書かれた墓石が、古い家制度をそのまま引きずったものなのに対して、家というものよりも一人ひとりの故人への思いを感じさせる。真宗門徒が多い安芸地方の墓地では一般的な光景なのだろう。

墓石にどういう文字を刻むかは、それほど大きな問題には思えない。しかし、こういう些細なことが人間形成のうえでジワジワと効いてくるような気がしてならない。