サクラローレルの記憶

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サクラローレルが死んだ。29歳というから現役で活躍していた頃から四半世紀が過ぎたことになる。

記憶に刻まれているのが1996年春の天皇賞阪神大賞典マヤノトップガンとのマッチレースを制して復活を遂げたナリタブライアンが1番人気で、2番人気は雪辱を期すマヤノトップガン。この2頭から大きく離れた3番人気がサクラローレルだった。単勝は14.5倍。金杯中山記念を勝って本格化したとはいえ、G1は初挑戦。しかも春天の3200mはいかにも長いというのが常識的見方だった。

なんの疑いもなくナリタブライアン単勝馬券を◯万円買い、改装前の東京競馬場のターフビジョンで三冠馬の圧勝を目撃することにした。ラストの直線、先頭に躍り出ようとするナリタブライアンを並ぶことなく抜き去ったのがサクラローレルだった。呆然としたままゴールと同時に、ガックリと膝を折ったことを覚えている。

天皇賞で敗れたナリタブライアンはショック療法として高松宮記念に参戦、4着に健闘したものの、そのまま引退となった。サクラローレルナリタブライアンを引退に追い込んだといってもよいのではないかと思っている。
ルドルフ以来10年ぶりに誕生した三冠馬をねじ伏せた栃栗毛馬は、ヒーローになるはずもなく遅咲きのサクラとして最強馬の座につく。有馬記念も圧勝、年度代表馬に輝いた。1996年は、「境ラッパ」と言われた個性的な調教師と地味な名馬の年だった。

合掌。