久しぶりに石破茂が存在感を発揮した。「我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日様々な形で表面化しているように思われます」とブログに書いて話題を呼んでいる。これは天皇家も同じ思いではないか。
石破茂という政治家は、今の自民党のなかでは異質だ。群れることなく、現実主義で論理的。クリスチャンで大平正芳と共通するものがある。大平のように政治的パートナーを見つけられたら、もう少し違っていたと思う。なお、原理主義者のキリスト教徒は、害でしかないということを付け加えておく。
1965年の日韓請求権協定をめぐっては、韓国併合に遡る歴史認識のズレから交渉が難航し、当時の政治状況から「未来志向」で妥結したことが明らかとなっている。
徴用工訴訟についての日本国内の世論は、何をいまさらというのが大勢をしめているけれど、少し引いて見れば、日韓請求権協定は日米地位協定と同質のものということがわかる。
そもそも「未来志向」という言葉は胡散臭い。歴史に目をつぶり「昔のことなんて、もうどうでもいいやん」という態度から生まれる言葉だからだ。サンデーモーニングで寺島実郎も「未来志向」でいかないといけないと語っていたが、基礎工事もしないまま上屋を建てるようなものだと言わざるを得ない。
「過去に眼を閉ざすものは、現在に対しても盲目となる」ーー西独ヴァイツゼッカー首相が語ったように、歴史をきちんと学び、現在に至る連続性を認識するところから出発しなければ、同じ誤ちを繰り返す。
先日NHKスペシャルで「かくて自由はしせり」という番組をやっていた。わずか10年で、日本が「転向」していく様子を追ったもので、当時の思潮が伝わる良い番組だった。現在の社会状況に対する危機感は少なくない。2000年頃から日本社会は大きく変わった。もはや戦後ではなく、「戦前」なのだ。
35年前の「未来志向」ジャズ。軽いと言えば軽いけど、今聞いても結構楽しめる。マイルスのthe man with the horn同様、とりわけボーカル曲が楽しい。
未来志向って、結局、軽さから逃れられないのかしらん。
Herbie Hancock Future Shock