深みを増したジョージ・ケイブルス

George Cables Icons & Influences
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アート・ペッパーのバックで美しいピアノを聴かせてくれたジョージ・ケイブルス。晩年のフランク・モーガンも彼のサポートを受けて素晴らしい作品を残した。
サイドで輝きを放つピアニストといえば、シダー・ウォルトンやマルグリュー・ミラーの名が浮かぶ。その2人に捧げたオリジナル曲が収録されている。どうしても聴いてみたくなった。

結論からいえば、この人はやはりコンポーザーというよりはピアニストだ。前半のオリジナル曲よりも後半のスタンダード曲の演奏のほうが断然良い。なかでも知的で流麗な「Nature Boy」は、この曲最良のバージョンではないだろうか。

ジョージ・ケイブルスは1980年代前半にアトラスレーベルにいくつかリーダー作を残している。スタンダード曲を目眩く運指で軽快かつ華麗に弾き、清新な響きがあったけれど、ややテクニックに傾いていたように思う。
30年以上経たこの作品では、独自の解釈でスタンダード曲から魅力を引き出し新鮮に響かせている。もともとタッチが綺麗で上手い人だけれど、ピアニストとしての深みを増した。上品で流麗なピアノは健在。いい歳月を重ねてきたようだ。

歴史に埋もれてしまったグループ

the mastersounds
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グループ名をThe Mastersoundsとしたのは、なぜなんだろう。アドリブの応酬よりもグループとして完成度の高い演奏を追求しようとしたからだろうか。それとも最高の職人芸を聴かせようという意気込みを表したのか。いずれにせよ、この名称は失敗だったように思われる。

名盤ガイド本などで、このグループの作品を取り上げられているのを見たことがない。MJQと同じ楽器編成だし、特筆すべき個性があるわけじゃないからMJQを取り上げれば十分ということかもしれない。
評論家からは無視され、ジャズの歴史にも登場しない忘れられたグループだけれど、演奏技術は確かだし、すっきりした素直な演奏は誰もが楽しめるもの。日本酒でいえば「上善如水」のような手軽で癖のない味わいだ。

『Swinging with the Mastersounds』と『A Date With The Mastersounds』をカップリングしたこのCDはスタンダード集で、オリジナルジャケットはこちら。

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これじゃ、イージーリスニングを演奏するグループと勘違いする人もいただろうなぁ。せめてカップリングで再発したときに、もう少しジャズらしいデザインにしていれば良かったのにと思ってしまう。今からでも‥‥遅いか。

2021年皐月賞

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クラシック第一弾、皐月賞はエフフォーリアが戴冠。追い切りは良くないし馬体重もマイナス10kgで、これは飛ぶなと思ったらあっさり圧勝してしまった。
横山武史はG1初制覇が皐月賞となった。最近の若者は緊張で失敗するようなこともない。かつてはプレッシャーに押し潰されるということがよくあった。それだけ失敗したときに恐怖が待ち受けていたということだろうか。日本は貧しくなったが、社会は優しくなった。両立できないとしたなら、いったいどっちが幸福なんだろう。

ディズニーランドと戦後日本

書店で白井聡の新刊が平積みされていた。

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白井は昨年、発言が炎上して謝罪に追い込まれた。松任谷由実がラジオで、安倍晋三首相の辞意表明会見を見て「テレビでちょうど見ていて泣いちゃった。切なくて」とコメントしたことに対して、フェイスブックで「荒井由実のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名誉のために」と書き込んでしまったのだ。
行き過ぎた発言とはいえ、暴言というほどのものでもない。それが謝罪にまで追い込まれたのは、松任谷由実が神聖化していることを利用した橋下徹のアジテートにマスコミが乗った結果だ。

松任谷由実に対しては、ずっと違和感を感じてきた。空疎で虚構のユーミンワールドはディズニーランドと相通じるものがある。嫌いなどと言おうものなら、蛇蝎のごとく嫌われそうな勢いで、一種の同調圧力となっている。
その松任谷由実の発言だけに、違和感はまったくなかった。むしろ松任谷と安倍晋三は空疎な虚構に住む同類なのではないかと感じた。
調べてみたら、この二人は同じ1954年生まれ。ちなみに一つ上の1953年生まれに山下達郎がいる。

世代論は無意味だという意見があるが、人はある時代の中で生きているわけで、同じ時代に同じ世代だった人は、同じものの影響を受けて育っている。世代ごとに共通点があるのは当然であって決して無意味ではない。これらの人々がどこかアメリカンな空疎さを帯びているのは偶然ではないだろう。それは戦後日本の自画像なのだ。

ケニー・ドリューの真骨頂

kenny drew home is where the soul is
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ブルーノート4059『Undercurrent』 は1曲目の出だしで傑作を予感させる。ザナドゥのこのアルバムも同じ。1曲目から気合い十分、"ガツンとくるケニー・ドリュー"がここにいる。やはりケニー・ドリューはこうでなくちゃいけない。
立役者はリロイ・ヴィネガー。いつの間にこんな巨漢になったのだろう。まるでリーダーのようにジャケットの中央で笑顔をみせている。

ジャケットはテキトーだしアルバム全体に流れもない。ラフなプロダクションはプレスティッジ譲り。商売っ気がないのか商売が下手なのか、わからないのがザナドゥだが、これはケニー・ドリュー入魂の傑作。ピアノを弾くのが楽しくてしょうがないといった様子が伝わってくる。