チェット・ベイカー晩年の安息

charlie haden silence
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チャーリー・ヘイデンのリーダー作だが、主役はもちろんチェット・ベイカー
ここでのチェットは文句なく素晴らしい。録音はホテルから転落死する半年前の1987年11月。この時期はクスリで酩酊状態のまま録音されたアルバムもあるが、そんな気配はまったくない。チェットには失礼だが、どうしてこんな健全な演奏が出来たのか不思議に思う。

チェットはリーダー作がほとんどで、ゲスト参加したアルバムは極端に少ない。クスリ漬けで当てにならないから、ゲスト参加をオファーする人がいなかったのかもしれない。
久々のオファー。しかも共演相手が旧知のエンリコ・ピエラヌンツィとチャーリー・ヘイデンと聞いて柄にもなく、しっかり体調を整えたのだろうか、いつも以上にふくらみのある豊かな音色で丁寧にメロディをなぞっていく。エンリコ・ピエラヌンツィのピアノも相性バッチリだ。
チェット・ベイカーにとって1987年は幸せな年だった。この年来日して絶賛を浴び、東京でのライブは最高傑作となった。ブルース・ウェーバーによる自伝映画の撮影も進んでいた。録音機会にも恵まれ、クスリを買う金に困ることもなかったことだろう。
欧州に移って10年。ほのかな幸福感に包まれたチェットを聴くことができる名作。

西海岸のB級名盤

マイクロソフトteamsを使ったリモートでの打ち合わせが増えたが、会社では周りの声が聞こえてしまうため、会議がやりにくい。畢竟、家でリモート会議をしてそのまま仕事することが多くなった。
テレワークをしていると、リビングと仕事部屋を行ったり来たりする程度で運動不足も甚だしい。

leroy vinnegar leroy walks again!!
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リロイ・ヴィネガーのウォーキングベースを聴いて、せめて歩いたつもりになろう。
地味なアルバムではあるけれど、これを愛聴している人は多いのではないだろうか。リーダーのベースを軸に、テディ・エドワーズ、フレディ・ヒル、ヴィクター・フェルドマンという、これ以上ない地味なメンバーが渋いソロをつないでいく。なんてことのない演奏だが、アルバムを通してこれぞジャズというムードが漂う。ウエストコーストの軽さはまったくない漆黒の世界。ベースの音が聞こえてきそうなジャケットも秀逸。

奥蓼科で日本再生を考えた

Go Toでどこも予約でいっぱいの週末。奥蓼科の渋・辰野館に空きがあるのを見つけ、久しぶりに訪ねてみた。
この宿には20年ぐらい前に一度泊まったことがある。山仲間と一緒だったのだが、なぜか風呂や部屋の記憶がほとんどない。そのころはまだ温泉に興味がなかったのかもしれない。

建物や設備はかなり老朽化が進んでいる。出迎えも部屋への案内もないし、部屋はかなりカビ臭い。流し場のある風呂は故障しており、男女が1時間半交代だという。こうなるとテンションは下がるが、お湯に入ると気分が一変。源泉21℃という冷泉なので加温はしているが、白濁したお湯はとろりとして最高に気持ちがいい。
東京からの距離も近いし、観光資源にも恵まれているのだから、もう少し施設設備を新しくすればいいのにと思うが、そう簡単ではないのだろう。

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Go Toで伊豆や箱根、有馬といった都市近郊の温泉地の高級宿が活況らしい。結構なことだが、通常料金でも活況が続くかといえばそんなことはあるまい。
庶民的な料金の宿の施設やサービスが底上げされたなら、温泉好きの裾野は広がるしリピート客も増える。歴史ある湯治宿の再生を支援する政策が必要だ。長い目で見れば、日本文化を守ることにつながるし、堅調な内需を生み出す。
せめて金融機関がコンサル機能を発揮すれば、再生する宿がたくさんある気がしてならない。金融機関が果たすべき役割は大きい。

アル・コーンの渋味

西海岸で活動する白人テナーというのはどうにも食指が動かない。アル・コーンも聴く気がしないミュージシャンだった。古臭そうだし風貌がオッサンくさい。アル&ズートでは、音が硬くてズートの引き立て役といったところだ。

ところが、ある時期から、あまり個性が強くないけれども、上手い奏者というのに惹かれるようになって、ビリー・ミッチェルやチャーリー・ラウズ、テディ・エドワーズなどに手を伸ばした。その先にいたのがアル・コーンだった。

al cohn standards of excellence
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これを聴いてアル・コーンに対する認識が変わった。アル&ズートとはテナーの音がまったく違って聴こえる。硬めの音には変わりないが、芯のある良い音だ。なめらかにスイングする王道を行くスタイル。「O Grande Amor」などはスタン・ゲッツとはまた違う渋味がある。
ズートがいないことで、アル・コーンの魅力に気づくことになった。いたずらに個性的であろうとすることなく、無駄を削ぎ落とした飾らない演奏に潔さを感じるようになったということだろう。
62歳という若さで亡くなったのが惜しまれる。

戸田ツトムとその時代

デザイナーの戸田ツトムが7月に亡くなっていたことを知った。
1980年代に現代思想の"ニューアカ"ブームとなっていた頃、戸田ツトムの知的でメカニカルなデザインはとにかくカッコ良かった。「イメージ」や「感性」という言葉を隠れ蓑にした緩いデザインを許さない殺気が漂っていた。

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ジャズファンにはこのシリーズも懐かしい。

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現在のエディトリアルデザインは、戸田ツトムとは逆にあまり緊張感を出さないようになっている。癒しを求める人が多い時代に、戸田のデザインは合わないのだろう。
ともあれ戸田ツトムの仕事は杉浦康平とともにエディトリアルデザインの高峰として聳える。享年69。合掌。

マルグリュー・ミラーのしなやかさ

ジャズはおおよそ武骨な音楽だけれど、洗練されるにつれ、ビバップのようなエネルギーや熱気はすっかり失われてしまった。洗練されるということはそういうことで、何かを得れば何かを失う。
やはりモダンジャズ第一世代が亡くなったことが大きい。日本でいえば大正から昭和一桁生まれということになるのだからちょっと驚く。ラヴィ・コルトレーンやウイントン・マルサリスが50代後半なのだから、もはや孫の世代に入るころだ。

ECMは別格として、欧州系のジャズが主流となりつつあるのは、あまり歓迎できない。グルーヴ感のないジャズはコシのない麺を食べているような感じがしてしまう。洗練されていてコシがある、そんなジャズが聴きたい。

mulgrew miller getting to know you
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マルグリュー・ミラーはMAX JAZZレーベルのライブ作品群もいいが、このアルバムも代表作に上げたい一枚。しなやかなグルーヴ感は洗練の極み。いつ聴いても新鮮に響く。

サブスク時代とコレクションする楽しみ

遅ればせながら、Bluetooth対応の小さなスピーカーを買ってきてspotifyを飛ばしてみた。
安い割に音もいい。なるほど近頃は音源をダウンロードして、こうやってBluetoothで飛ばして聴いているんだなぁと、改めて時代の変化を実感した。
こうなるとspotifyの有料コースに入りたくなる。でもサブスクを利用し始めるとクセになりそうだし、980円とはいえ毎月となると考えてしまう。これ以上、自動引き落とし額を増やしたくないし‥‥ということで、迷ったあげく見送ることにした。

blue mitchell & sonny red baltimore 1966
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数年前にCD発売されたこの音源も、Amazonではストリーミングでしか入手出来ない状態が続いていた。
録音テープが一瞬よれている箇所があるのが残念だが、普段着のブルー・ミッチェルの演奏を記録したライブ録音は貴重だし、演奏内容も抜群にいい。こういう音源はCDで手元に置いておきたい。

海外ではCDなどフィジカルなメディアは死滅しつつあるらしい。「モノ」がなければコレクションが成り立たない。コレクションする楽しみがなければ、趣味性はかなり失われる。
音楽がストリーミング配信だけになってしまったら、使い捨てのポップミュージックしかなくなってしまうのではないだろうか。